2016年8月25日木曜日

残暑

あっという間に8月も後半となり、夏休みも終わろうとしています。
お盆が過ぎ、邑楽まつりが終わり、夏が終わったような感覚ですが残暑は厳しそうですね。


この夏はオリンピックに夢中になり、いつもは子供たちにテレビを独占されていますが、オリンピック一色の我が家でした。
そんな中、いろんな競技をみる中で子供が熱心に見ている姿をみて、こうやって世界が広がっていくものなのかと実感しました。絶対にあきらめない姿をみて、感じることは多々あったのではないでしょうか。
私もひさしぶりに興奮し、感動しました。4年後の東京オリンピックが楽しみです!     k

2016年8月17日水曜日

夏休み

 猛暑・8月・夏休み・・・。
 リオオリンピック、高校野球とテレビやネットニュースから目が離せない日が続いています。
 どの競技を見ても、全力で立ち向かっている選手たちを観ると、強く感動し、元気がもらえる気がします。こんな風に、人の心に響くようなことができるって、素晴らしいと思いました。でもこれは、急にやろうと思ってできることではないし、いつも自分を冷静に見つめられることと、周りに感謝の気持ちを忘れないことが大切なんだと改めて感じました。
 日々の積み重ねは難しいことではありますが、そんなことを思いながら、過ぎ行く夏を楽しんでいます。  (マル)

2016年8月8日月曜日

ふと思う

 リオ・オリンピックが始まって、メダル獲得のニュースがテレビで放映されています。やはり一流のアスリートが活躍するゲームの興奮度は凄いものがありますね。特に日本人の活躍は大いに盛り上がってしまいます。
 そんな時、Eテレのバリバラでは「相模原の大量殺人」に関するテーマを取り上げていました。
障がいを持つ人間にすれば、基本的な違いはないのに有用か無用かで分別されてしまう現実には脅威があると指摘していました。また、誰かに支えられていなければならない現実の障がい者にとって、近隣の理解は必要不可欠であるにも関わらず、あのような惨事がその身分を更に狭めてしまうことに成りはしないかとも…。
 「生きる価値がない」という言葉。世の中の労働能力の有無や序列で給与支給の優劣を決定したり、切り捨てしたりしている現実のそこかしこに、そのような「無用論」は潜んでいるような気がしてならないとも言っていました。日本でもほんの20年ほど前まであった「優生思想」。いまだに障がい者は不幸だと決めつける一方的な誤った思想が根底にはあるのかもしれません。
 大切なものは、序列ではなく存在と意義、そして関係性ではないでしょうか。(堀)